古く奈良時代の仏像製作に端を発していたと考えられる。川口の鋳物は775年前の鎌倉時代建久年間 、宋人某が技を伝えたとも、人皇97代光明天皇の御代、歴王年間に河内の国(大阪府)円南部より天命国家の後胤が移住し来って、鍋・釜要の鋳物工に生型鋳造を教授したとも伝えられている。 明治初年には米人キンゴ氏が来朝し、川口在住の鋳物工に生型鋳造を教授したという。木型製作の始まりは、此の辺から発達したものと思われる。それより先江戸時代末期、浦和土浦にて農業を営む島崎又五郎の三男として出生した菊造は、先来手先が器用でまじめなところから大工職人となり、よく働いていた。同業者や近隣の評判もよく、菊大工の愛称で通っていたとされています。